カテゴリ:歴史


2012年01月09日

[映画] 聯合艦隊司令長官 山本五十六 <ネタばれなし>

日本人で知らない人はいない(若い人は知らない?)大日本帝国海軍の連合艦隊司令長官を務め、対米戦争には強く反対するものの、政府の意向として従わざるを得ず、真珠湾攻撃にて米国の戦意を喪失させることによって、早期講和をすることを企図。真珠湾攻撃での最重要目標であった空母が真珠湾に居らず、半ば失敗に終わるが、ミッドウェー海戦にて再度空母の攻撃を企図するも失敗、敗戦にいたる。

この太平洋戦争での最重要人物である山本五十六の心に目を向けた作品。

演出上若干脚色はあり、史実に基づいていない点もあるが、原作をもとにさまざまな資料も盛り込み、可能な限り山本五十六の心に迫ろうとした点は非常に評価できる。

また、特に当時の国民感情やマスメディアの動きにも触れ、単に軍部の独走によって対米戦争に突き進んだわけではない点にも注意を払うなど、われわれ自身もあの戦争を省みるのには(ミッドウェー海戦での山本五十六の死後から敗戦まではほぼ完全に省略されるているが)良いと思います。

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2011年11月29日

[映画] 新少林寺 <少しネタばれあり>

昔の「少林寺」のリメイクではありません。少林寺が関わる内容にはなっていますが別の話です。そういう意味で邦題では「新」とついているのでしょう。

時は1912年、辛亥革命後の、ある軍閥に属する候杰(アンディ・ラウ)を主人公に、陰謀渦巻く軍閥内での駆け引きや、軍閥の裏で支援する欧米日各国(出てくるのはイギリスであろうか?)、義兄弟への不信、家族への愛を中心に、描かれており、前の「少林寺」がただのアクション映画といってもいいのと比べ、この「新少林寺」はそういった愛憎を主に描き、少林寺は、どちらかというと脇役になっている映画です。

しかし、最後のほうの少林寺を破壊するシーンは圧巻です。

アクションもたっぷりあるので、旧作よりも、見ごたえはあると思いますよ。

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2011年10月23日

[映画] ラーメン侍 (九州ローカル公開) <ほぼ全ストーリー>

とんこつラーメンの発祥の街とされる福岡県久留米市。そこに旨いラーメンにこだわる男、神代光がいる。彼はラーメン屋を営業していた父・神代昇の急死によって、地元に戻りあとを継いでいた。彼のラーメンへのこだわりは強く、それについていけない従業員が陰口を叩いていることに気づいた。中には、「先代と味が違うという言葉もあった。」。これらの従業員はそのまま辞めてしまった。

主人公は父のラーメンを超えるべく父との思い出を振り返りつつ旨いラーメンを目指すのであった。
※ちなみに辞めていった従業員はほかの店を転々とし、結局戻ってきた。

九州ラーメンに詳しい方ならこの映画の主人公のラーメン屋の屋号が「弾丸ラーメン」であることから、「大砲ラーメン」を思い起こすだろう。その通り、この映画は「大砲ラーメンの先代からの話」を元に製作されている。

後いろんなラーメンに関する有名人や、友情出演も多く、気づけなかった役者も多かったです。

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2009年04月30日

「円形分水」比率おかしくない?

通潤橋(いまは通潤橋は通らず別の導水で白糸台地に送られている)に水を送っている円形分水だけど、説明では、「7:3」と書かれているけど、実際のつくりを見ると「8:2」位に見えるけど、おかしくない?

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2008年08月04日

科博とB級映画

なんか、今日の予定がキャンセルされてしまったので、まる一日暇になってしまった。

ということで、午前中はホテルでゆっくりして、久しぶりに国立科学博物館(科博)に行ってきた。
むー、久しぶりだ。何年振りだろ?

ただ、企画展にいま一つ興味がわかなかったので、常設展だけまた見てきた。
いやぁ、疲れるねぇ。

ということで、一通り見て回った後は、いつものごとく、ミュージアムショップへ。

080804001006 080804001816今回は、安いパズルを買ってきた。「キューブQ6」というもの。

全部で6種類(難易度)があって、一式買ってきた。
ひとつ263円で計6種=1,578円ナリ。

一つ一つは簡単(すぐ完成する)だけど、組み合わせはかなり難しそう。

で、パズルを銀座の喫茶店で解きつつ、B級映画の上映待ち。

久しぶりの映画だ。

一つ目は、「ギララの逆襲 -洞爺湖サミット危機一髪-」。うは、すげー馬鹿ばかしい。いろんなところにネタがあって、全部確認できなかったような気がする。あんな人も登場!

で、二つ目は「スターシップトゥルーパーズ3」だ。いや、これも第一作目のノリでいい感じ。

どちらもいま一つオチが弱いので、普通の人にはお勧めしないwけどね。

熊本じゃ、ちゃんと映画館で観れそうにないからねぇ。敢えて見てきました。

これで明日は熊本に戻ることになる。疲れた。

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2008年06月21日

高校同窓会総会

今日は夕方から福岡市内で催される、出身高校の同窓会総会に出席してきます。

昨年は行かなかったので、今年は行くかなぁと、思った次第。
なので、いまから福岡へ移動。

実家で一泊して、明日戻る予定。

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2008年04月29日

九州国立博物館に行ってきた

G.W.モード企画第2弾w。

実家で一泊して、自宅に戻る途中、初めて九州国立博物館(略して「九博」(きゅうはく))に行った。

九博は福岡県太宰府市に日本で4番目、108年ぶりの新設国立博物館として2005年開館。

それより108年前設立された国立博物館である京都国立博物館が1897年に開館して以降、かの岡倉天心が約100年前に九州博物館を提唱して以来の悲願の国立博物館だ。

歴史博物館としての国立博物館は九博が最初で、国立博物館としての規模も(今現在)最大ということだ。(以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から要約)

ということで行ってきたんだけど、いやぁ、凄いね。収蔵物は東京・京都の各国立博物館から移管したものが多いようだけれども。

因みに、歴史的国宝として有名な「金印」はココには無い。福岡市博物館に収蔵・展示されている。九博に行っても見れないのであしからず。

まあ、それとは別に楽しみだったのは、「シアター4000」。これは、2002年にNHK放送技術研究所が開発した次世代ハイビジョン「スーパーハイビジョン」の国内(いや世界といっても良いか)唯一の常設設備だ。

スーパーハイビジョンは、走査線数が4320本、総ピクセル数が現在のハイビジョンの約16倍、音声は22.2チャンネルというものすごいもの。2015年に試験放送を開始して、2025年には本放送にこぎつけようと、また、次世代ハイビジョン規格として世界に先駆けて提案し、国際規格としての足場を固めつつあるようだ。

自分は、たまたま2002年の技研公開(リンク先は今年のページ:5月22日~25日に開催)でこれが初公開されたときに実際に見てて、その凄さに圧倒された経験があった。そのときはまだコンテンツが十分では無かったのだけど、ここ九博では博物館作成の4本の作品のうち何れか2本が見られるようだ。

さらに興味を引いたのはミュージアムショップの九博オリジナルグッズw。

針聞書」(はりききがき)と呼ばれる書物に書かれた架空の病原虫をぬいぐるみとかフィギュアにしたもの。ちょっとかわいいじゃんw。ミュージアムショップも今はこれを強くプッシュしている模様w。

ということで、次回はバックヤードツアーとかにも行ってみたいなぁ。

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2008年04月28日

長崎小旅行(ドライブ)

今日は長崎港で帆船が公開されるということで、長崎に行ってきた。

熊本からだと、一番早いのは、九州自動車道を北上し、鳥栖ジャンクションで長崎自動車道を行く方法だけれど、ずっと運転しっぱなしというのは嫌なので、熊本港からフェリーで島原港経由で行くことにした。

高速フェリーを使ったので、約30分の船旅だった。でも、長崎までの走行距離は半分くらいになるので、とても楽だ。

ということで、島原に到着、せっかく島原に来たのだからということで、火砕流被害の爪痕を見て回ることにした。

Photo こんなに埋もれている家がたくさん保存されている。これはすごいな。でも、そのすぐそば(もちろん火砕流堆積物の上)で畑が作られていることがもっと感動したわけだが。

そんなこんなで、いろいろ見ていたら、結構時間を食ってしまった。

で、長崎港へ移動するも、ルート選択を誤って、少々遠回りをしてしまう。

長崎港に着いたものの、島原で時間を食ってしまったことと、遠回りをしてしまったため、帆船の中を見学するのは叶わなかった。残念。

でも、外から写真を撮ることはできたので、とりあえず、写真を撮りまくる。

Photo_2 この船は海王丸。日本丸の姉妹船。う~ん、中見たかったなぁ。
他にも数隻の帆船が係留されていた。もちろん写真は撮ったけど、それはまた別の機会に。

さらにさらに、せっかく長崎に来たので、今までちゃんと見ていなかった名所・旧跡をいくつか回ってみた。

とりあえず、オランダ坂、中華街、出島跡あたり。グラバー園や平和公園など、そのほかの名所・旧跡は小学生の時の修学旅行や、家族旅行の時に行ったと記憶しているので、無視w。

夕方には実家の福岡へ移動した。駆け足だったけど、結構有意義な時間だった。

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2008年04月12日

熊本阿蘇二重峠

久木野の蕎麦を食って一心行の大桜を見に行こうとして、あまりの人の多さに桜は見ずにドライブした帰り、二重峠は今までちゃんと見たことが無かったんで、寄って行きました。

う~ん、石畳がいいねぇ。

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上の写真は二重峠阿蘇側の麓から大津側峠の順です。

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2007年02月28日

総務省の住民基本台帳にかかわる軽微な変更について

小熊さんの日記「底に哀はあるの。2007年2月27日(火曜日)のエントリから。

総務省が「「住民基本台帳法施行規則の一部を改正する省令案」に対する意見の募集について」とパブリックコメントを募集しているのだが、中身が凄い。

<中略>

該当者のnyミツルんに感想を聞いてみたい気分だ。

あー、私も該当者だったりしますw。

氏名の一部に但し書きがあるのですよ。

通常(住民票レベルまで)はJIS漢字を利用していますが、戸籍上はJIS外なんですよねぇ。変わっても実害ないけど、なんだか勿体無いなぁ。

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2006年10月08日

なんでも鑑定団(再)にて湯本さんのAPPLE-Iを観た

テレビ東京開運なんでも鑑定団」の再放送で湯本大久さんのAPPLE-Iを観た。
やっぱいいねぇ。保存状態も非常に良いようで、感心します。

同じ回で、PS2版「ガンパレード・オーケストラ」開発の株式会社ダイス取締役にして「快獣ブースカ」コレクターの齋藤明弘さんも出ていらっしゃいます。

満足満足。
#どちらの方とも何の関係もないですがw。

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2006年08月24日

「惑星『冥王星』」の歴史76年で幕。

ついに歴史が動いた。

本日行われたIAU総会において、惑星の定義について結論が出た。

約1000名の投票により、多数で「惑星は海王星までの8つ」(厳密には惑星の定義を『太陽の周りを公転し、自重で球体になり、同一軌道周辺で圧倒的に支配的な、衛星以外の天体』)とすることが決まった。

冥王星は新しい定義では、同一軌道付近に同クラスの天体が存在するため「圧倒的に支配的な天体」とはいえないことから、惑星の定義から「圧倒的に支配的な天体」という条件を除いた「矮惑星(dwarf planet)」とされることになった。

さらに、冥王星と同様な天体で、海王星以遠の軌道を巡る天体を「冥王星系天体」(議題にあがって否決された"plutonian object"の報道用仮訳のため、正式名称は未定。議題にあがらなかった「冥王星族(Plutino)」が使われる可能性もあるが、この語についても異論があるため、今のところ正式名称は未定)としてカテゴライズすることも可決。2003UB313はこれに含まれる予定。

また小惑星セレスが「矮惑星」に該当するかどうかは今後の課題とされ、「矮惑星」の詳細な定義が今後議論される予定。

なお、いままで冥王星の衛星とされたカロンが今後も衛星の地位のままかどうかも気になるところだが、おそらく今後検討される「矮惑星」の定義で決まることになりそう。

これらからは間違えないように「太陽系の惑星は8つ」と覚えておきましょう。

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2005年06月16日

入院日記:74日目

今日は午前中回診があったので、結局散歩はできなかった。
午後はサルサの時間だが、今日は「メレンゲ」だ。雰囲気はフォークダンスに近いかな。
微妙な体の動きはラテン・ダンスの特徴を持つが、それを除けば割と踊りやすい部類に入ると思われる。

同室の人が一人、治療の関係で別室に移った。すかさず新しい人が入ってきた。「あれ?見たことあるなぁ。」と思っていたら、私が入院したての頃見かけた人だった。再入院かぁ。何があったんだろう。少なくとも良い環境ではなかったんだろうな。自分もそうならないように気をつけておかないと。いくら最終的には自分で治すしかない病気とはいえ、周囲の助けがないとそれもおぼつかない病気でもある。復帰後が勝負だ。

小熊さんが例の件で補足を書いている。反論するわけではないのですが、今日はちょっと時間的に無理(32bits Forth On X68000(FOX)をMC68k(Human-68k)からIA-32(Windows)への移植(名称は「32bits Forth On X86(FOX86)」)中。アセンブラやニーモニックの違いからメタコード部以外は全部書き直し。)なので、一度考えを整理してから後日再度エントリします。

以上、おやすみなさい。

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2005年03月15日

書評#11「ダ・ヴィンチ・コード」

今日は以下の本の書評をする。

「ダ・ヴィンチ・コード(上)」 ダン・ブラウン著 角川書店 ISBN4-04-791474-6
「ダ・ヴィンチ・コード(下)」 ダン・ブラウン著 角川書店 ISBN4-04-791475-4

評価は4(★★★★☆)。若干辛めだが、自分の知識がこの本の面白さを若干削いでしまったことがあるためであり、一般的にみて「週刊文春:2004年ミステリーベスト10海外部門1位」の名に恥じない内容だ。

キリスト教に関するさまざまな薀蓄が語られており、キリスト教に疎い人だけでなく、キリスト教にかかわりのある人(一部の宗派の人は嫌かもしれないが)でも楽しめると思う。

ストーリ的にもあきさせないように工夫されており、非常に読みやすい。日本語訳についてはもちろん翻訳者である越前敏弥の力量によるところが大きい。

以下ネタバレあり注意。

答えは全て「ソフィー」につながる。そして、本当に隠されるべきものさえも…。

さて、面白さを削がれた原因は、

オプス・デイ、シオン修道会、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」とキリストの隣に座るマグダラのマリア、死海文書、テンプル騎士団とフリー・メイソン、聖杯の意味、剣の意味、五傍星、六傍星、フィボナッチ数と黄金比、置換暗号(含むアトバシュ)、鏡像文字、パピルスと酢酸、ヘブライ語の表記法。

以上に挙げたことは自分はそこそこ知っていることだったからだ。結果、ここに絡んだ部分はある程度先が読める状況になってしまった。しかし一方で知らなかった事実もあり、その部分は非常に興味深く読むことが出来た。

本著者はまだ無名の時代に、本書の主役であるラングドン教授を主役としたシリーズ第一作の「天使と悪魔」で高い評価を受け、同シリーズの第二作目である本書が映画化されるという、すばらしい実績を上げている。今現在シリーズ第三作目を執筆中との事。今後も彼の作品には目が離せない。

因みに、まもなく劇場公開される映画「ナショナル・トレジャー」も似たような趣向(1米ドル札に描かれた「万物を見通す目」の謎など)の作品であり、是非見てみたいと思う。

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2005年02月16日

「ファティマの奇跡」最後の目撃者死去

asahi.com の記事「「ファティマの奇跡」最後の目撃者死去 ポルトガル」より。

1917年に起きた、あの「ファティマの奇跡」を見たとされる最後の人が2005年2月13日に亡くなられたんですねぇ。そおかぁ。

記事にもあるようにポルトガル中部ファティマに現れた聖母マリアは3つの予言をしたといわれている。その三番目の予言が驚愕的内容であったため、バチカンによって封印されたというのが、「ファティマ第三の予言」としてオカルト系では良く聞く話。その内容は公開されていないので不明。

とりあえず参考として「ファティマ第三の予言」でググった結果の一番目に出てきたサイトを示す。良い資料であるかは保障しない。
http://www.osk.3web.ne.jp/~asterope/fatima.html

しかし、この人が亡くなられた事を受けて2005年2月15日に「追悼の日」を設定したポルトガル政府もすごいなぁ。(若干修正)

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2005年01月10日

Mappy音頭!

切込隊長BLOG(ブログ) ~俺様キングダム」の記事「MAPPY音頭」より。

懐かしいし、面白い。

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2004年12月22日

世界最古の現役ホテルは日本にあったのね。

Guinness World Records を見てたら、世界最古の現役ホテルは、石川県粟津温泉の法師旅館で、創業西暦718年(養老2年)だそうで、20へぇ~でした。

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2004年12月12日

書評#09「親日派のための弁明2」

本日は、韓国では有害図書指定を受けた「親日派のための弁明」の続編である、

「親日派のための弁明2 -英雄の虚像、日帝の実像」 キム・ワンソプ(金完燮)著 扶桑社 ISBN4-594-04845-5

を取り上げる。

はっきり言うと「突っ込みどころのたくさんある」書籍だ。かといって嘘や捏造されたことが書かれているとは思わない。しかし日本人にとっては異常なほど心地よい内容だということだ。
韓国の人たちが自分たちの歴史について、議論を尽くし、本当の事実に到達するのであれば、このような彼らにしてみれば(国辱的な)極論かもしれない書籍も必要なのかもしれない。この点は、日本のほうも基本的には同様だと思う。
あと、日本で売れる(つまり高額な印税を得られる)ことを考えて、あえて書いているのではないかという疑念を抱かざるを得ない。
#もちろん、著者はそのために、韓国では大変な目にあっているようである。その点は尊敬に値するほどすごいと思うが。

とりあえず2つほど疑問点を取り上げると、

  • 世界史について理解が浅いのではないか?大まかに要約すると「朝鮮が日本の併合された時代を見ると、同様な状態の国が3つ(清朝、朝鮮、ハワイ)があった。これらはともに、女性が実権を握っていた。彼女らが、民衆の反感を買い、結局失脚することになったのだ。」と述べている。清朝や朝鮮の話はともかく、ハワイの女王リリウオカラーニは民衆から反感を買ってはいなかった。むしろ親しまれていた。その理由として、彼女が作詞・作曲した「アローハ・オエ」が今でも、みなに親しまれているからだ。もちろん、朝鮮の日本への併合、ハワイのアメリカへの併合という事実は似通ってはいるが、基本的な認識で間違いを犯している。儒教的な男尊女卑の観念がいまだ抜け切れていないのではないか。
  • 皇帝(エンペラー)と名乗れるのは「大陸の天子(つまり中国)、日本、ナポレオン、アレキサンダー、ロシアのツァーリぐらいである。だから、朝鮮の皇帝というのはおかしな呼称である。」と述べている。確かに、王の上の王としての皇帝はそれほどいない(しかし日本の場合は、明治以降の天皇は(実質的にもさらに形式的にも)王の上の王ではなくなったのだ。また、「ローマ皇帝は?」という突っ込みもできるだろう)し、朝鮮皇帝は王の上の王ではないから皇帝とは言えないという主張は理解できるが、どう呼称するかは、その国の国民や政府が決めることで、たいした理由など必要ない。

しかし、伊藤博文に対する正当と思われる評価や、朝鮮・韓国の暗部、教科書問題で韓国が日本に突きつけた修正項目の一覧と日本の回答についても詳細に書かれており、それなりに評価できる点もある。

そういったバイアスがかかっている書籍としてあえて読んでみるのも一興だ。

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2004年12月05日

南京大虐殺訴訟原告の李秀英さん死去

南京大虐殺の有無や規模については諸説あるのでここでは言及しませんが、少なくとも当時の歴史を知っている人がまた一人なくなったということですね。残念です。

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2004年11月17日

今は亡き祖父はアインシュタインの講演を聞いていた。

MSN-Maicnichi INTERACTIVE発信箱:「理系音痴」が動かす国 元村有希子」より。

>82年前のきょう11月17日、世紀の偉人が来日した。相対性理論を提唱したアインシュタイン。
>立役者は「改造社」社長で新聞記者出身の政治家、山本実彦。
>彼は現在で1000万円相当の報酬を支払い、各地で講演会を催し大成功を収めた。

この催しは福岡でも行われた。そのとき今は亡き私の祖父が講演を聴きに行っていたのである。この事実を知ったのは、私が理論物理学で、一般相対性理論をベースに研究をしていたときだった。そのとき祖父はもう亡くなっていた。

なんという奇遇なことだろう。

もっとも、祖父がアインシュタインの講演内容を理解できたとは思わないし、私も数学で挫折して今はプログラマーの身だ。

しかし、私は間接的ながらアインシュタインとかなり近いつながりがあったのだ。人から言わせればなんてことはないかもしれないが、私にとっては「大好きだった祖父と偉大なるアインシュタインと私の関係」という大切な思い出となったのである。

追記2004/11/21>福岡での講演の様子その1(当時の写真は残念ながらない)。
追記2004/11/21>福岡での講演の様子その2(当時の写真は残念ながらない)。

ちなみに私が在籍した共同ゼミの先生方のお一人は、あの大槻教授の弟子なのだ。(w

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2004年10月24日

書籍紹介#08「吉田茂の自問―敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」」

最近読み応えのある日本外交の歴史に関する書籍を読んだので、今手元にある日本外交の歴史をつづった書籍をいくつか紹介しよう。

まずは、

「吉田茂の自問―敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」」小倉 和夫 / 藤原書店 ISBN:4894343525

だ。

吉田茂は、アメリカの日本再軍備要求に反対したことで有名だ。もちろん、完全に再軍備を否定したわけではなく、当時の経済状況や国民感情から、無理だと反対したのだ。その吉田茂が、第二次世界大戦で日本が負けることになった理由を外交的見地から、当時の若手外務省職員(課長クラス)に、どこで日本が外交の誤りを犯し、戦争に突入していったのかを明らかにせよと命じて作成された報告書が「日本外交の過誤」である。

この報告書「日本外交の過誤」は秘密扱いとされ、2003年4月に秘密指定解除され世に出た報告書だ。歴史的には満州国設立前後から、終戦後までの日本外交を扱っており、この時代、いかに日本の外交が過ちに満ちたものであったかが良くわかる。また、この報告書の作成後、この報告書に対して、終戦後に、戦前から戦中にかけて大臣だったものや外交官や外務省職員であったものたちがどのような理念・思想・感想を持ったかが述べられている。これが秘密扱いになっていたのが不思議だが、イデオロギーや思想の右左に関係なく、ぜひ読んでもらいたい書籍である。

それ以前に読んだ、日本外交関係の本は以下のとおりだ。

「日本外交の情報戦略」 岡崎 久彦 / PHP研究所 ISBN: 456962734X

「9・11と日本外交」 久江 雅彦 / 講談社 ISBN:4061496220

「首脳外交―先進国サミットの裏面史」 嶌 信彦 / 文芸春秋 ISBN: 4166600834

次の本は特に気に入った本のひとつだ。

「未完の経済外交―幣原国際協調路線の挫折」 佐古 丞 / PHP研究所 ISBN:4569620884

この書籍は、第一次大戦後から第二次大戦にいたる束の間の平和な時代において、日本は経済立国を標榜し、活発な経済外交を行おうとしたものの、経済摩擦、関東軍の暴走、それを止められない政府、軍による政府の掌握により、希望は潰えて対米戦争へと突入し、未完に終わった幣原首相の経済外交を中心に日本外交の失敗を検証した書籍だ。

そのほかに(岩波新書系)もあったと思うが、おそらく実家にあるのだろう。今度探してみよう。

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2004年07月09日

「戦後教育を受けた私達は、大家族主義は因習的な古臭い制度という印象を受けます。」

えいねん様の映画『しろばんば』1962年白黒作品の私見より。

わたし自身はそうゆう風には思いません。理由はええねん様と大体同じ(ある程度肯定的に捕らえる)と考えてよいでしょう。問題だといえるのは家長制度位ではないかと思います。

社会の最大単位は「世界」ですが、社会の最小単位は「家族」であることは同意していただけるでしょう。
この「家族」というものは生・死、養う・養われる、家族内の序列、協調・対立それに駆け引き、など、最大単位である「世界」と比べても遜色ないほどのシステムを持っています。

それが「核家族化」に続いて「少子化」が進行するにしたがって、生・死、養う・養われる、、家族内の序列、協調・対立それに駆け引きの経験が過剰に少なくなってしまったため、これらに対するインプリンティングが行われないで大人になってく。

そして社会はそのようなルールを各個人に十分に修得させられずに、荒れていく。日本での犯罪発生率の増加はそこに原因がある可能性があります。

日本の今の現状は20年位前のアメリカを彷彿とさせます。アメリカは80年代に入ってからは、家族を大事にし、両親を暖かく迎え入れ、(もちろん自分の足で生活をするという方もいますが、)1世帯当たりの人口は増えているように記憶しています。

しかし、日本人も今、そのことの弊害に気づき始めているように感じています。2世帯・3世帯住宅が非常に好調な売れ行きを誇っているのがその表れです。アメリカとちょっと違うのは、普段はそれぞれの家族は独立して生活していることで、もしものときは何か用事があるときは隣に家族はいる、何かあったときにすぐに気づいてくれる。という日本独自のライフスタイルが形成されていっている過程にいるのが現状ではないかと思います。

少子化は大変な懸念材料ですが、今後大きな変化(新しい大家族主義)が現れるのではないかと考えます。

以上です。

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2004年06月27日

書籍紹介#06「サムライカード、世界へ」

本日の書籍紹介は、

文春新書#263「サムライカード、世界へ」 湯谷昇羊 ISBN4-16-660263-2

です。

本書は「サムライカード」すなわち日本のクレジットカード会社の雄、JCB(Japan Card Bureau)が世界第4位の国際カードになっていく軌跡が描かれた、まさに「プロジェクトX」モノです。(でもプロジェクトXではまだ取り上げられていないんですよねコレ。)

クレジットカードの誕生は1950年アメリカの実業家の失敗から生まれた。夕食時に支払う現金を持ち合わせていなかったのである。これが世界初のクレジットカードカードとなるダイナーズクラブ(以後Diners)誕生のきっかけだ。

日本のクレジットカード会社はアメリカに遅れること10年、1960年12月に日本ダイナーズクラブが発行を開始した。その一ヵ月後には東京と大阪に今のJCBの前進となるJCBと大阪カードビューロー(OCB)がクレジットカードの発行を開始した。

時は1980年、すでに国内No.1シェアを持っていたJCBはライバルの住友クレジット(後の三井住友VISAカード)動向に危機感を持っていた。それまで、国内用と国際用のカードは別々に発行され、国際カードは期限が限定されたものだった。そこへ、住友クレジットは、すでに当時世界最大であったVISAと提携して国内外共通カード(ワンカード)の発行を開始したのだ。JCBはそれまでの住友クレジットと同様にアメリカンエキスプレス(以後AMEXと表記)と提携して、国際用カードとして期間限定のカードを発行していた。

JCBは住友クレジットと同様にAMEXと提携する方法もあったが、AMEXは独自に日本でゴールドカードの発行を始めてしまった。提携相手が競争相手に代わってしまったのである。それでも引き続きAMEXと提携する案や、VISAやMASTERCARD(以後MASTER)と提携することも考えられた。しかし、当時、JCBカードの所有者が期間限定の海外カードであるAMEXで利用した店舗数は2万店程度であったこともあって、JCBカードの所有者がほとんど日本人であったことも考え、この2万店でJCBカードを使えるようにすればJCBは独自に世界展開することができるのではないかと考えられた。JCBはこの案に社運をかけることになったのである。なおかつ現地居住者用の現地での発行も視野に入れていた。

1980年日本人の海外旅行先は香港、台湾、シンガポール、ハワイなど東アジアや東南アジア、太平洋地域に限られていた。そこで、最初にJCBカードを利用できる場所として香港が選ばれた。しかし、提携はなかなか上手くいかなかった。「結局撤退するのではないか。」「VISAかMASTERと提携するのではないか」などといわれ続けたが、JCBは辛抱強く加盟店を増やしていった。1981年台湾でのカード発行開始。そして、ヨーロッパへと地道に加盟店獲得の手を伸ばしていった。

住友カードの追撃。住友カードがVISAカードと提携し、統括会社VISAジャパンを設立し、カード名称を住友VISAカードと名前を変え、世界で最も使えるカードとして会員数を増やしていった。会員数の増加とともに、VISAジャパンのフランチャイズとなる地方銀行が現れ始めた。そのほかの地方銀行も地銀バンクカードを発行を開始する。VISA、MASTER,AMEXは、地銀バンクカードを取り込もうと必死になった。名称に固執したAMEXは最初に脱落、信頼度から、VISAが幹事となり、最終的にはVISA、MASTER、JCBの選択制となった。

1980年代は日本人の海外旅行ブームがJCBの加盟店獲得に追い風となった。84年には35カ国300都市3万店を達成した。しかし世の中そう上手くはいかないもので、香港で苦い経験を味わうことになる。この経験から学んだのが、現地提携カードを展開するという方法だった。つまり現地の人々が普通に利用するショップカードにJCBのクレジット機能を付加するという戦略だ。若干なりふりかまわずという展開であったため、この種類においては、VISA、MASTERとも引けをとらないであろう。

これまでの海外展開でも常に難しかったのは決済ネットワークの構築であった。展開当初はカーボンコピー式の簡単な仕組みでも受け入れられたが、世界的にクレジットカードの普及が進むと、作業の煩雑なカーボンコピー方式は敬遠されるようになった。それに変わるようにオンライン決済が普及することになるが、JCBには独自に構築する能力はなく、この点についてはそういった業務を専門に行っている会社に委託することになった。

幾度となく困難を乗り越えながら、JCBは現在、全世界の会員数はDinersを抜き世界第4位へ(第3位はAMEX)、利用可能なATMは60万台、これは5大メジャーカード最大である。

そして、200年の世界大会では「2003年までに加盟店数500万点、現地発行会員数500万人、全世界会員数5000万人」を目指すとされた。

JCBカードが上位2社を追い抜くことはないだろう。しかし、JCBにはJCB-PLAZAというほかにはないプレミアムサービスがある。本来の目的はJCB会員のためであるが、JCBカードを持っていなくても利用できる。これは、JCB-PLAZAを利用してくれた非JCB会員が将来JCB会員になってくれることを期待してのことである。実際、アメリカでの同時多発テロのときは米国各地のJCB-PLAZAは日本語情報のハブであったことは有名である。

以上が本書の概要である。5大メジャーカード(世界レベルでカード発行を行っているカード会社は5つしかない。)の一角(第4位)に日本発の国際カードがあることを誇りを持ってよいと思う。他の4大カードはすべてアメリカ発のカードなのだから。

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2004年06月13日

書籍紹介#05「ケルト神話と中世騎士物語」

本日は次の書籍を紹介する。

中公新書#1254「ケルト神話と中世騎士物語 『他界』への旅と冒険」 田中仁彦著 ISBN4-12-101254-2

ケルト人はローマ帝国が勃興するまでヨーロッパ・地中海地沿岸諸国を支配していた民族である。しかし、ローマ帝国が拡大するにしたがって、その支配地域は辺境に押しやられ、最後にはアイルランド、マン島、ブリテン島(イングランド以外、すなわちスコットランド地方、ウェールズ地方、コンウォール地方)、フランス・ブルターニュ地方を残すのみとなってしまった。ブルターニュ地方の最西端には、ケルト人文明の中でもっとも美しい都市イスがあったが、一夜にして海底に飲み込まれてしまったという伝説がある。この都市が余りに美しい都市であったとされていたため、今のパリが「イスのような町」(Par-is)と名づけられたほどだ。

このブルターニュ地方の最西端の地は6世紀ごろの大波によっで、削られてしまい、海底に没したのであるが、海底に没した領域に何かあったことは、ローマ街道がこのがけの先にもまだ道が続いているような状態であることからもわかっている。

しかし、このイスという都市の存在はいまだ不明であり、著者は存在しないと考えている。そしてこれをケルト人伝説の世界「他界」ではないかと考えた(「他界」は東アジア文明においては「桃源郷」と考えると最も近いかもしれない)。この他界は通常死んだ人しか行くことのできない世界であるが、特別な聖者や英雄は生きているうちに訪れることもあったという。ケルト神話の中には勇者がこの他界を訪れ、去っていく伝説が多い。

ローマ帝国が拡大するにしたがって、ローマ市民となるケルト人も多くなり、ローマ文明にケルト文明は吸収されていった。こうした中で、ローマがキリスト教化されるにしたがって、ケルト神話も、アーサー王伝説のようなキリスト教の騎士の伝説に変貌していった。

そう、アーサー王伝説はケルト神話がベースなのである。なぜそれがわかったのか?それは、幸運にもケルト文明の正当な遺産が、先にあげた、アイルランド、イングランドを除くブリテン諸島、フランス・ブリュターニュ地方に残っていたためである。

ローマ文明にケルト文明が吸収されたといううことはキリスト教にケルト文明の宗教的側面が吸収されていったということでもある。宗教的対立は特になかったようである。「他界」のイメージがキリスト教の「天国」に似ているなど共通点も多かったからといわれている。ただし、浸透していったキリスト教がカトリックであったならば、話は違っていたかもしれない。浸透して言ったのは東方キリスト教ではなかったのではないかとされている。

これを裏付けるものとして、「聖アンナ」崇拝があげられる。カトリックは「聖マリア」崇拝であるためである。

さて、本書はしばらく、伝説の検討に入っていく。
挙げられた伝説の中には、日本の伝説や昔話によく似たものがあって、興味深い。
これら伝説の中には明らかに「他界」と思われる記述がある。「他界は」どこにあるのか、著者は地下にあると言う。

ケルト文明圏にあった地域には巨石遺跡群が多く存在するが、当時のケルト人たちがこれらを建造したとは考えにくい。しかし、彼らの伝説には「極北人」という種族が出てくる。彼らはアトランティスの末裔であり、彼らが建造、もしくは指導したと考えるものもいた。少なくとも、現状では、ピラミッドより2000年以上も前に建造されたこの巨石群を誰が作ったのか、この点については不明である。

ケルト文化を吸収したケルト・キリスト教における「他界」とはいったいどういったものであろうか。
キリスト教神話は表向きキリスト教の騎士の冒険で会ったりするのだが、中身はケルト神話のままであることが多い。

ケルト文明を吸収したキリスト教は東方キリスト教であるが、東方キリスト教はカトリックと異なり、修道院が教会の中心となっていた。もともとは、砂漠の孤立したキリスト教徒(陰修士)が集まっただけのものであったが、時代が進むにつれ、大規模化し、大修道院長を頂点とする階層組織となっていった。ケルト文明圏に作られた修道院は、ケルト文明の影響から、ドルイド教の聖なる場所(ネメトン)におかれることが多かった。そうしたことで、東方キリスト教にドルイド教の考え方が浸透していった。

ここからまた、今度はケルト・キリスト教の神話と「他界」についての検討が始まる。
最後はアーサー王伝説について、その神話と「他界」の検討を行っている。

以上が概要である。
伝説の検討については要約が難しいので、割愛した。実際に読まれることをお勧めする。

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2004年05月29日

書籍紹介#04「逃げる百姓、追う大名」

今日紹介するのは、

中公新書#1629「逃げる百姓、追う大名―江戸の農民獲得合戦」 宮崎克則著 ISBN4-12-101629-7

です。紹介といっても本書の内容は比較的単純なので、短く済ませます。

乱世の時代が終わり、平穏な江戸時代に入ると、大名はこぞって米を主とする食物生産量をあげようと必死になった。彼らは多くの武士とその家族、を自らの手で養わなければならなくなったからだ。
土地はあるが、戦乱の中で荒れていた。荒れた田畑を耕すのには農民が足りなかった。そこで大名は考えた。別の領の農民を獲得できないか…と。

大名は他領からやってみた農民を受け入れ、田畑を与え、そして保護した。この他領からやってきた者を「走り者」と呼んだ。他領とはたいていの場合は隣の領であるが、遠くから来たものもいた。

農民の増えた大名は喜んだが、農民に出て行かれた大名はたまったもんではなかった。「どこそこの、だれそれというものがそちらに走っているが、返してはもらえないか?」と必死で取り戻そうとした。走ったものの素性がわからなければ、その大名は損をしたままとなった。走ったものの本人を特定できないと、「そんな奴は知らん。」と門前払いされてしまうからだ。また、走った農民が走り先で結婚していたりするとさらに取り戻すことが難しくなった。

このような「走り」行為が頻繁に発生すると、百姓に逃げられる恐れのある大名は、百姓たちに対して脅したり賺したりして、走りを必死で食い止めようとした。それでも止め処がない場合は幕府にお願いして、お触れを出してもらうこともしばしばだった。

このように意外と人の移動は多かったのである。

以上が本書の概要で、実例を事細かに挙げているところが面白い。
一度でも読んでいただけたら幸いだ。

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2004年05月08日

書籍紹介#03「首都江戸の誕生」

本日の書籍紹介は、

角川選書#346「首都江戸の誕生 大江戸はいかにして造られたのか」 大石学 ISBN4-04-703346-4

です。

江戸時代における日本の首都とされる江戸はどのように造られたのか?

本書では、まず、西洋の概念である首都が江戸に当てはまるのか。さまざまな人物の考えを明らかにしている。たとえば、まさに江戸が首都である。天皇の居する京都が首都であるが、江戸は政治、経済の首府である。など、論者によって定義はさまざまである。著者は江戸は首都であったとしている。

その江戸は都市としてどのように成立したか。著者は始まりを家康の関東入国においている。家康の関東入国後、江戸城入城、参勤交代制による諸般の武家屋敷の成立、それに伴う、商業の発達、大掛かりな都市計画の実現と進んでいく。

明暦の大火は江戸に甚大な被害をもたらしたが、逆に、ドラスティックな町割の再編成が行われた結果、都市としてのキャパシティが増大し、人口も大幅に増加することになった。18世紀には町人・武家の両人口をあわせると100万人に達し、当時これほどの大都市は世界的にもまれであった。人口増加に伴い、行政機構も整備された。

吉宗は大掛かりな首都改造を行った。吉宗は、防災対策として、町火消組合の創設と町屋の改造、火避け地の設定、火の見櫓の設置を行い、火災に対処しやすいシステムを構築した。並んで、行政機構の改革も行った。物価問題への対処、衛生管理能力向上と低所得者層への福祉設備としての小石川養生所の設立、風俗の取り締まりの強化などが行われた。

人口の増大は首都圏の拡大を意味している、第六章では、首都「圏」の再編について述べている。それまでの江戸周辺は幕領、大名領、旗本領、寺社領などが入り組み「犬牙錯綜」と呼ばれていた。このような複雑な領地関係は一揆の防止などといわれているが、犯罪者などが逃亡を図り他領に逃げてしまった場合、捜査権が及ばないため、領主間での話し合いの上、引渡しを行うことになり、この協議の間に犯罪者がさらに別の領に逃げてしまうという事態が起こっていた。(これについてはの概要は別の書籍紹介で行う予定である。)また、軍事的脆弱性の懸念もあり、これらの点は強化された。
また、綱吉の生類憐みの令に伴い鷹場制度は消滅していったが、吉宗がこれを復活させた。
首都防衛に関しては首都及び首都からの距離により3段階の各種制限を設けていたが、これもより有効な形へと修正されていった。人口増加に伴う人口密度の増加により「抱屋敷」(武家や町人、農民が江戸内に持つ別宅)の所有を厳しく制限したりもした。この制限はあまりうまくいかなかったようである。
そして、行楽地や新田の開発なども積極的に行われた。

18世紀後半になると江戸の町も巨大となり「大江戸」とも呼ばれるようになった。自立的な貨幣経済が成立するようになり、さまざまな文学、芸能が隆盛を極めるようになった。全国的な経済流通活動も活発になり、地方の特産品などが江戸に流入するようになった。

江戸後期、ペリーなどの諸外国船の日本への接近により、日本は否応もなく諸外国との通商を拡大せざるを得なくなった。国際貿易体制を確立するためには、西洋的な法の整備が必須で、幕藩体制では十分に機能できないとの危惧から、明治維新が起こったわけであるが、このとき、事実上の首都であった、江戸をそのまま首都にするか、京都や大坂にするか議論があった。しかし天皇の東幸などの既成事実により、そのまま江戸が明治新政府の首都「東京」となった。

これがおおよその概要である。
本文でも書いたが、教科書的には江戸時代は「居住地の自由はない」と言われているが、実際には犯罪者のみならずく町人や農民も結構別の藩に移り住んだりしていた。民に逃げられた藩が彼らの取り戻しに必死になっていた様子が、別の書籍で克明に描かれている。この書籍もいずれ紹介したいと思っています。面白いのでぜひ読んでみてください。とりあえずタイトルだけ挙げておきます。

中公新書#1629「逃げる百姓、追う大名―江戸の農民獲得合戦」 宮崎克則著 ISBN4-12-101629-7

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2004年04月29日

書籍紹介#01「日本の古代道路を探す」

最近は体調が悪いせいもあってあまり本を読んでいないが、今後時間があれば、今までに読んだ本の中で気に入った内容のものをピックアップしその概要を述べていきたいと思う。

今回は平凡社新書#045「日本の古代道路を探す 律令国家のアウトバーン」中村太一著 ISBN4-582-85045-6 を取り上げる。

「1400年前の古代道路が今もそのまま道路として利用されている。」と聞くとどう思われるであろうか。これが意外に残っているのである。理由はいろいろあるが、歴史的に見ても重要度が変わらなかった道路は何らかの理由でその道路が崩壊しない限り利用し続けられている。しかし、道路を維持する体制(制度)がなくなった後は、周辺住民などの思惑により道は削られ向きは変わり無くなってしまったものさえ多い。

これらの道路を維持した体制(制度)とは、「駅制」と「条里制」である。「駅制」は中央政権が地方を支配するための命令伝達手段の整備のために作られたもので、道路の整備、連絡馬の維持、連絡拠点の整備を行うものだった。一方、「条里制」とは、土地の利用に関する区分方法をベースとした、土地管理制度のことで、「駅制」と「条里制」はどちらも土地の利用に関する制度であるため密接に関連がある。

どういうことかというと、現在もほとんど変わっていないが、道路が地割の境界線となっていることである。そして、境界線を決定するのは、それぞれの地権者の同意によるわけであるが、その根拠は往々において歴史的経緯で説明される。国家の領土問題を考えてみると、何世紀も前の事実を根拠として領土権を主張するのが一般的であり、このことからも、古代に設定された境界線が今でも生き続けていることがわかるだろう。

このため、一部の道路は今でもそのまま残り、無くなってしまった道路でさえも、土地の境界線を良く眺めてみると、その痕跡を見ることができるのだ。

以上が概要であるが、世界的に見ても、古代の道路は比較的良く残っていて、有名どころではローマ街道などが挙げられる。これは2000年以上前ものが残っている。

近くの小さな道が、実は1000年以上も前からあるなんて考えたら、楽しくないだろうか。

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